最近話題の
岡崎図書館問題についてちょっとだけコメント。
まあ一開発者として「
MDISが糞」ということは大前提としてあるわけですが、その上で
このへんの記事を読むと、感情的な部分での憤りと法律の現場の乖離ってなかなか埋まらないんだなぁ、という感触が。
ざっとTogetterのまとめと講演者のブログを幾つか読んだだけなので外してるかもしれませんが、法律家の立場から「過去の判例に従えば逮捕は妥当」という理屈が導かれるのも元法学部の学生としては理解できますし、一方で「あの程度で逮捕されていては何もシステムが作れない」という現場の叫びもわかります。全体的な雰囲気としては、なんか昔のWinny事件で金子氏が逮捕された直後のノリに近いものがあります。
個人的な独断ですが、よく理系の方々が「技術の問題は技術で解決すべきで、警察や法律なんかの介入は余計」と主張されるのに対し、文系の人間はその「理系的な考え方」自体に対し得体のしれない恐怖を感じている、という壁があって、今回の件もその恐怖心が故に「問題を解決するためには手段を選んでいられない」として警察への被害届→逮捕につながったのかなぁ、なんて考えます。昔ライター時代に取材した
RFID絡みのシンポジウムでもなんか似たような対立がありましたし。
誤解を恐れずに端的にまとめると
○理系的な考え方:「便利に使える=絶対的な善、技術の勝利」
○文系的な考え方:「あえて不便さを選ぶ自由だってあるべき」「"便利"な機能の押し付けこそ悪」
てな感じですかねぇ。ちょっと方向性は違いますが、古くはネット上で
モヒカン族論争なんてのもありましたし。
私も実際会社の業務の一環として、求人サイト相手に似たようなクローラ作ってますし、業務で接続するシステムの中には逆に「クローラを使うこと前提のシステム」(XMLで新着情報が配信されるので、それをクロール・parseした上で未取得のデータがあったらそれを取りに行く形式)もあったりしますから、正直「明日は我が身」「この程度で逮捕されたくない」という恐怖はあります。ただ一方で「実際クローラのせいでシステム止まってるんだから、外形的には犯罪の構成要件満たすし、逮捕されても仕方ないよね」と言われてしまうと反論できん自分もいたりして、なかなか悩ましいです。
こーゆーのは結局ある程度類似の事例が貯まったところで社会的合意みたいなものが成立して、ある一定のところに結論が自然と収束していくのを待つしかないのかなぁ、という気がしてます。
まあ岡崎の一件の場合は、問題が全国的に広まって本質的な問題点を有志の方がさんざん分かりやすい形でまとめられているのにもかかわらず、当事者の図書館職員やMDISなどがそれに対し聞く耳を持たない(ように見える)という点が最大の問題だと個人的には思いますが。