以前
求人サイトの更新状況ってことで、市区町村の合併絡みの更新がきちんと反映されているかってのを調べたのだが、これの元ネタの
アルバイト採用課募集広告係さんが最近調査をやってくれないので、またまた自分で調査してみた。
今回は市区町村ではなく駅が対象。調べたのは次の3つ。ちなみに調べたのは今日。
・羽田空港国際線ビル(東京モノレール)
・羽田空港国際線ターミナル(京急空港線)
・成田湯川(京成成田空港線)
…結果はほぼきれいに真っ二つに割れました。
<3つとも対応>
○e-aidemバイト・パート・社員
○TOWNWORK
○Weban
○FromAナビ
<全く未対応>
○バイトルドットコム
○マイナビバイト
○[en]本気のアルバイト
○DOMO NET
○ジョブセンス
○シフトワークス
○ラピジョブ
○アルバイト.jp
<一部不明なもの>
○e-aidemエリア - 成田湯川の求人案件がないため不明。残り2つは対応済み。
○ショットワークス - こっちは京成成田空港線自体の求人案件がない。残り2つは未対応。
ちなみに一番論外なのがラピジョブで、なんと「京急空港線」自体を検索する設定がない。他の京急線はあるのになぜ空港線だけ設定がないのか謎。
e-aidemエリアは内部的には成田湯川の設定があること知ってますが(サーバ管理してるので)、あくまで一般ユーザ目線ってことで今回は「一部不明」に入れました。
成田湯川はともかく、羽田の国際線ターミナルってそれなりに求人もある場所なので(実際飲食店とかショップが結構ありますし)、未対応のサイトは早めに対応した方がよろしいんじゃないでしょうか。
#
by cocky2003
| 2010-11-18 15:24
| 雑談
講談社の「デジタル的利用許諾契約書」について昨今
池田信夫氏の記事などで話題になっているようで、ちょっと乗っかってみる。
まあ印税云々については、著者と出版社の力関係でいろいろ料率は変わるものですし、宣伝広告費等をどっちが負担するかでもいろいろ話が変わってくるので、外野がとやかく言う話でもないかと。
実際紙の書籍でも、昔は印税ったら「10%で印刷部数に対する支払い」ってのが相場でしたが、昨今PC系書籍だとそうでもないですし。私がライター時代に実際に出版社から打診受けた条件でも「8%で実売部数に対する支払い」とかが普通でしたから。あと「初版は印刷部数で払う代わりに2刷はいくら刷っても印税は無し。3刷からは実売部数で支払い」なんて変な条件のところもあったなぁ(結果的にそことの話は流れた)。
アマゾンなんかは印税の料率が高い代わりに、宣伝とはは原則一切なし(広告とかは全部著者側が独自に展開しないとならない)ですから、そことのトレードオフを考えないといけないと思います。
むしろ気になったのは、後段の「所有権」云々の問題。もしこれが誤記じゃなかったとした場合に考えられる可能性をいくつか考えてみました。
1. 音楽業界の「原盤権」と同じような想定をしている
音楽業界では、作詞・作曲者の著作権や実演家(歌手等)の著作隣接権とは別に、最終的に出来上がった原版に対してレコード会社等が原盤権を持つことが認められているので、それと類似した権利構成を取ろうとしているのではないかという推測。
デジタル書籍でも、著者の著作権とは別にデジタルデータへの加工・各種タグ等の挿入など一種のマスタリング作業が必要になる点は音楽業界と似ているので、この際ネット配信で先行している音楽業界の仕組みをそのまま導入してしまえ、と考える可能性はあると思います。
2. そもそも販売形態として「売り切り」を考えていない
どちらかというとこちらが私の推測の本命で、講談社は電子書籍を「売り切り」ではなく、あくまで期間限定の「利用権付与」の形でのみ販売しようとしているのではないか、という推測。
期間限定の利用権付与であれば、販売形態としては現在の書店での販売(所有権移転)ではなく、むしろ貸本(あくまで所有権は貸本屋にあり、読者は一定期間それを借りるだけ)の形態に近くなるわけで、その上で「出版社が自ら貸本屋を経営する」と考えれば、所有権は出版社(この場合講談社)が独占できます。
ただ同契約書には「卸価格及び販売価格」とか、売り切りを前提としているような単語も並んでいるわけで、そのへんの兼ね合いをどう考えているのかが微妙なところ。
3. 「所有権」の対象が実は二次著作物・中間データのみである
もう一つ思いついたのが、本条項は本来「デジタル化の過程で発生する中間データの取り扱い」を定めたものではないかという推測。
書籍のデジタルデータ化の場合、最終的にパッケージ化する前の段階で中間的に作成しなければならないファイルがいろいろ出てきます。例えばEPUBであれば、あれ中身は事実上XHTML+画像データですから、作業段階で校正刷り代わりにHTMLを渡して著者に中身を確認してもらう等の作業が発生することは十分考えられますし、独自フォーマットの電子書籍でも暗号化・難読化する前の生データを著者に渡すなんてことがあるかもしれません。
んで、特にDRM付きの電子書籍の場合、それらの中間ファイル等についてきちんと所有権を定めとかないと、著者から中間ファイルが外部に流出してDRMの意味がなくなる・本来非公開の技術仕様が漏れてしまうなんてことが起こりうるので、中間データについては出版社に所有権があると定めることでデータの流出を少しでも抑止しようとしているのではないかと。
ただそうだとした場合、現在の条文だと表記がおかしくて、池田氏のところの「追記」にあるような指摘を受けることになるわけですが。
とりあえず思いついたのはこの3つぐらいですが、他にも可能性あるかも。
果たして実際のところはどうなんでしょうか?
しつこいかもしれませんが、「立法論」絡みの話をもう少し。
私個人は、いくら東大法学部出身といっても所詮現在は法律の現場から離れているので、このへんの話をいろいろ語っているページをいくつかご紹介。
解釈論(As Is)と立法論(To Be)について(ITmedia・栗原潔のテクノロジー時評Ver2)
法解釈論と立法論
個人情報「過」保護の見直し(5):立法論か解釈論か(Yahoo! オンビジネス)
第1部 記念スピーチ「市民が法をつくること」(市民立法機構)
ただ一つ言えることは、「
日本の法学教育は三権分立を必要以上なまでに意識しすぎている」ということに尽きるでしょう。
確かに裁判官・検事・弁護士とかいわゆる「司法」業務に就く方々は、「既にある法律をどうやって運用し、具体的な事件に当てはめていくか」が業務であって「法律を作る・変える」ことは基本的に業務ではないですから、そういう人々を養成するという観点からは「立法論を排除して法解釈論のみを教える」のは有効だと思います。
ただそれを「司法」業務に直接携わらない人間、特に政治家や政策秘書のような直接「立法」業務に関わる人々、また官僚のように建前上は「行政」業務といいつつも、内閣提出法案のような形で実質的に「立法」業務に関わる人々にまで押し付けるのはいかがなものかと。
また現実には、国会議員になるような方々には元弁護士の方なんかも多いわけで。そういう場に出る際には当然立法論的な知識って必要だと思うんですが、それを全く学ばないで国会の場に出てくるから、つまらん法解釈であれこれ議論を長引かせてる気がするんですよねぇ。つまらん解釈論やってる暇があったら、とっとと議員立法法案で法律変えたほうが話が早いんじゃないの?という場面はしばしばニュースで見ます。
それなのに日本の法学教育は良くも悪くも「司法要員養成」のための教育であり、天下の東大法学部ですら立法論的教育を行うような授業は(少なくとも学部レベルでは現在も)ほぼ皆無です。私自身は一応政治コースってものを選びましたが、そこで教えるのは実質的に過去の政治史だけでしたし(なので途中で私法コースに移った)。
個人的には「さすがに東大まで行けば立法論的なことを教える授業があるだろう」と思って大学に入ったので、正直実情を知ったときはショックでした。まあ今となっては、それで大学の授業にほとんど出なくなってインターネットにどっぷり浸かったおかげで今のようなプログラマへの道を歩みだしたので、それが良かったのか悪かったのかはわかりませんが。
なんか岡崎図書館事件からずいぶん離れた話になってしまいましたが、とにかく言えることは
・日本の「法律家」のほとんどは、既にある法律・判例を元に事件を解釈する「判例解釈家」でしかない
・「判例解釈家」は立法論をとにかく嫌う
・しかし現実には法と判例の解釈論だけでは解決できない問題が存在し、立法論と法・判例解釈論が混在する場面が多々出てくる
ということを踏まえ、法律家と議論する際は以下の3段階のうちどのレベルで議論するかを最初に決めておくべきだと思います。
・とにかく既存の法律・判例の範囲内で想定される結論を議論するもの(「判例解釈論」とでも名づけますか)
・既存の法律をベースとするが、判例については既存の判例に囚われないもの(判例に囚われないという意味で「『法』解釈論」とします)
・法律自体も既存のものに囚われないとするもの(まさしく「立法論」です)
場合によってはこれに「憲法自体も既存のものを変えても構わないとする」(「憲法改正論」?)を加えて4段階にする必要があるかもしれません。
この前提なしに素人が法律家と法律について議論すると、間違いなくかみ合わない結果に終わります。
本当だったら法律家側がこういう前提をきちんと説明してあげるべきなんでしょうが、そもそも法律の専門教育を受けていないと、立法論と解釈論の区別自体非常に困難ですし。なかなか悩ましいところです。
昨日の記事に対して「
法律関係者は、何故、選択肢方式のみの答えを探す?」という形で反応をいただいたので、図書館事件とは一部関係ない話になってしまいますが、個人的な法学部時代の思い出ではありますがコメントしてみます。
昔法学部にいたとき、よく先輩や法曹関係者の方と話していて言われたのが「
君、それは立法論だよ」という言葉。これ法学部以外の方には意味が理解できないと思いますが(実際私も最初はどういう意味か理解できなかった)、要は「それは過去の判例からは絶対導かれない結論で、その結論に至るには法律自体を変えるか、あるいは最高裁が新たな判例を示すしかない」という意味です。
んでここからが重要なんですが、日本の法学教育においては
「立法論」という言葉が出た瞬間にそれ以上の議論は許されないんです。日本の大学においては(少なくとも法科大学院の設置前は)「法学部=法曹関係者の養成機関」「法曹関係者=立法機関(政治家)が作った法律を解釈・運用する者」となっていて、「法律を変えるのは政治家の仕事であって我々の仕事ではない」ということでそこを議論するべきではないんだ、と当時先輩から教わりましたが。
そして「それまでの枠組みにない新たな判決を出す」ことに対しても法曹関係者ってのは一般人の想像以上に慎重です。前回も書きましたが、新たな判決を出すってことはその判決自体が(正式な「判例」とはならないとしても)一定レベルの先例として後続する類似事件に対し影響を持つことになるので、新たな法律を作るのに近い効果があります(この辺は「判例 法創造」とかのキーワードでぐぐるといろいろ出てきます)。言い換えれば「新たな枠組みの判決=立法に準ずるもの」となる、つまり「新たな判決の必要性について論ずる=法律を変えるのに準ずる議論=事実上の立法論」になってしまうんですね。
なんで「法律関係者は、何故、選択肢方式のみの答えを探す?」というご質問に対しては、個人的な経験を踏まえると「日本の法学教育がそうなっているから」と答えるのが一番適切ではないかと思います。
実際、昔テレホンカード偽造が話題になり始めたころ(まだ当時「支払用カード電磁的記録に関する罪」はなかった)、東京地裁と大阪地裁で判断が分かれた(確か東京では有罪で大阪では無罪だったと思う)なんてことがあったように、新たな技術やそれに基づいた犯罪が出てきた際、判例の蓄積がない・立法措置が間にあわない状況では裁判所の判断ですら乱れが生じることがありますが、現在の法律の世界ではそれも「法律の信頼性を担保するための社会的コストの一部」であるとして、できるだけ避けるべきではあるが甘受せざるをえないものと考えられている、というのが私の認識です。これは日本に近代法が導入されてからの一貫した考え方ですし、そう簡単には変えられるものではないでしょう。
ただ現在は、法曹関係者の養成機関としての機能は法科大学院が担っていて、法学部は「純粋な法律そのものの研究」の機能を中心に担当することになってますから、今後は法律の研究の一環として「立法論」に関する議論が許される空気が出てくるのではないか(というか出てきてほしい)という希望的観測を個人的には持っています。
○追記
言い換えると、岡崎図書館事件での逮捕の件が不当だという意見については、おそらく議論に参加されている法律関係者は自分の立場で言えることを言っているだけだと思いますので、(その解釈自体が適切かどうかは別として)これ以上の効果を期待しても無理でしょう。
むしろ政治家(例えば岡崎市議会の議員さんとか。ちょっとど忘れしましたが、議会で本件絡みの質問されている方いらっしゃいましたよね?)に話をして議会で問題として取り上げてもらう(立法措置が取られれば最高ですが、少なくとも議会で議事録に残る形で質問として取り上げてもらうだけでも、警察等に対しては驚くほど効果があります)とか、経産省あたりの官僚と組んで「この程度のアクセスなら業務妨害には当たらない」というガイドラインを出してもらうとかの方が、今後同様の問題が起きないようにするにはより適切ではないか、と思ってます。
再び岡崎図書館事件の件で。
こことか
こことかで、法律家の側からの事件分析が的はずれであるということでいろいろ叩かれてますが、元法学部の立場から一言。
日本の法律家ってのは(ごく一部の例外を除いて)
事件を過去の判例に当てはめる以外の議論が許されない人々なのです。
まあこれは日本の裁判において、事実上判例変更が最高裁においてのみ許された権限であり、下級審や警察・検察等その他の刑事事件を扱う機構は全て「過去の判例に従って動く」ことしか許されない、という点が原因なんですが。
今回の例みたいに、おそらく「過去の判例に適切に当てはまる」ものがないと思われるケースの場合も、実際問題として
本当の意味で「過去の判例に適切なものがない」と判断できるのは最高裁だけなので、本人も薄々「これはちょっと外してるかもわからないなぁ」と思いつつも、無理やり「似て非なる判例」に当てはめて類推するしかない(というかそれしか許されない)、というのが実情なんです。
おそらくは愛知県警も、岡崎市立中央図書館から被害届が出た段階で、過去の「似て非なる判例」に無理やり本事件を当てはめてしまったせいで、最終的に(個人的には本来は不必要だと思う)逮捕につながったんだと思います。
これに対し「過去の判例への当てはめ方が不適切」という意味で批判が出るのは当然だと思いますし、私も開発者の立場では「こんなんで逮捕されていてはたまらない」という意味でその批判には同意します。ただ法律家の立場からすると、本当に「当てはめ方が不適切」だったかどうかは、今後類似の事件が実際に起訴され法廷に持ち込まれて判決が出るまではわからない、と答えるしかないでしょう。
昔
この記事でも書きましたけど、法律家ってのは本当に良くも悪くも「判例に従ってしか動けない」人種なので。
「漫画等の図版の引用」だって、今でこそいわゆる
脱ゴーマニズム宣言事件で「一定の条件や様式を守れば文章同様に引用が可能」って判例が出て、ある程度自由に引用ができるようになってますけど、以前は法律上は図版の引用を規制する文面なんて一切ないのに「判例がない」って理由だけで、出版社側の「図版の引用は一切不可」って主張が事実上まかり通ってたわけで(判例が出た今になっても、出版社側は主張を変えてませんが)。
実際、雑誌なんかで今でも時々グラフ等に「~の文献を元に当社で作成」って脚注が付いてるのは、「『引用』って書いてしまうと文献の著作者に訴えられる」から「わざわざ同じものを独自に作り直す」という編集部・ライター側の(ある種無駄な)防衛策です。
なんで技術屋の立場からすると、法律屋の意見がものすごくおバカに聞こえる部分があると思いますが、それは法律屋の立場上仕方ないってことで大目に見てあげてください、ってのが結論です。